トップ > お知らせ一覧 > 医者いらず健康長寿処方箋㉖

医者いらず健康長寿処方箋㉖

健康科学研究所所長・大阪市立大学医学部名誉教授 井上正康
〈現在、多くの府県師会より講演依頼を受けています。ぜひ貴師会でも!〉


井上正康先生は、癌や生活習慣病を「活性酸素」やエネルギー代謝の観点と、地球や生命の歴史という大きな視野で研究されている国際的研究者です。専門書、一般書のご執筆をはじめ、マスメディアでも大活躍、「予防医療」の研究と普及に取り組まれています。

「ベジタリアンと糞食」

 食物繊維とは動物の胃腸では分解されにくい難消化性の炭水化物の総称である。栄養素の乏しい草だけを食べて生きる草食動物には特別な代謝システムが必要である。完璧な草食動物である牛は牧草だけで700 kgもの巨体を維持することができる。牛の胃は第1胃から第4胃まであるが、第1胃が胃全体の80% (120リットル)も占めている。この様な胃は常に口をモグモグさせているキリンや鹿などの反芻動物に共通している。牛の第1胃には1000兆個以上もの嫌気性細菌や原生動物が共生しており、そこは巨大な発酵工場となっている。これらの微生物は牧草中のセルロースなどを分解代謝し、酢酸、プロピオン酸、酪酸、ビタミンB群などを産生している。第4胃はヒトの胃に類似しており、大量の胃酸や蛋白分解酵素ペプシンなどを分泌している。第1〜2胃で増殖した大量の共生微生物は第4胃で完全に殺菌分解され、それに続く60 mもの長い腸で栄養分が消化吸収される。完全なベジタリアンである牛が草だけであの巨体を維持できるのは、反芻胃に共生する栄養豊かな微生物のお陰なのである。
 野生の馬も草食動物であるが、牛の様な反芻胃を持たないかわりに巨大な結腸を有している。そこにも大量の微生物が共生しており、牧草を発酵させて様々な栄養素に加工している。この様に牛や馬などの草食動物は特別大きな胃や長い腸を有しており、それを収納する為に体が大きくなければ生きていけない。一方、身体の小さなウサギも馬と似た胃や消化管を持つベジタリアンである。ウサギには結腸の代わりに大きな盲腸が発達しており、ここに大量の腸内細菌が共生している。ウサギの糞には栄養豊かな共生細菌やビタミンB12が多量に含まれているが、これらは糞と一緒に排泄された後に再び食べられ(糞食)て彼らの栄養分になっている。身体の小さなウサギがベジタリアンとして生きていけるのは糞食のお陰なのである。
 コアラの母親は子どもに離乳食として自分の糞を食べさせるが、この糞食により子どもはシアンを含むユーカリの葉を安全に消化して栄養分に加工する腸内細菌を確保しているのである。昔は家畜のブタに人糞を餌として食べさせることが広く行われていた。今でもアジアの未開地では高床式のトイレの下で豚を飼育している所がある。ネズミの様に雑食性の小さな哺乳類でも、食べ物が少ない飢餓環境では糞食により栄養を確保している。哺乳動物の糞には動物が利用可能な栄養素が豊富に含まれている。ハエなどの昆虫類や小型の動物が糞に集まるのもこの為である。フンコロガシのスカラベがファーブルの昆虫記を有名にしたのも彼らの糞食のお陰である。
 哺乳類としては比較的身体の大きな人間は糞食をしないので、健康に生きていくには穀類、野菜、肉などの多様な食物を摂取しなければならない。事実、元気で健康な高齢者には、肉や魚の蛋白質や脂質に加え、多様な発酵食品などを日常的に摂取している方が多い。ベジタリアンと称する方々も、豆類や乳などを微生物の力で蛋白質や脂質やビタミン類に加工した発酵食品を摂取しなければ栄養失調になってしまう。この様な栄養学的知識のない菜食主義者の多くは短命である。
 食物繊維は胃腸の消化酵素で分解されないが、それを摂取しなければ便通や体調が良くない事から、古くからその重要性は直感的に理解されていた。これまでは腸内細菌を培養して解析する事が困難だった為、彼らや食物繊維の具体的役割は不明であった。最近になり腸内細菌の遺伝子を網羅的に解析する事が可能となり、思いもかけない新事実が明らかにされつつある。このメタゲノム解析から、胃腸の病気は元より、生活習慣病、アレルギー疾患のみならず、うつ病や自閉症などにも腸内細菌が深く関与している事が明らかにされつつある。人類の祖先は腸内細菌と一緒に何億年も旅をしてきたが、特に現代人は彼ら無くしては生きていけないのである。
 最近、抗生物質の濫用によりバンコマイシン耐性菌が出現し、その院内感染には打つ手がないことから病院閉鎖の一因ともなっている。これに対する新たな治療法として、健常人の便から採取した腸内細菌を患者に移植する試みが始まっている。2013年にはクロストリジウムデフィシル腸炎に対する二重盲検試験が開始され、2014年にはカプセル化された腸内細菌が本疾患に有効である事が報告された。現在、腸内細菌叢の改変により、潰瘍性大腸炎、過敏性腸症候群、アルツハイマー病、パーキンソン病、アレルギー疾患などを治療する試みが始まっている。
 最先端の医療の多くも、そのルーツは古くからの経験や直感に誕を発するものが少なくない。実は、糞便の微生物を移植して病気を治療する試みは、既に1700年以上も前になされていた。四世紀の中国人医師ジェ・ホングは食中毒や重症下痢患者に便の抽出液である"黄色いスープ"を投与していた事が知られている。更に、朝鮮半島では人糞を酒にして呑む”トンスル”や他人の大便を食べる”嘗糞”と言われる習慣が存在する。日本でも人糞を薬にして飲む“人中黄”と呼ばれる治療法が利用されていた。
 鍼灸マッサージでは大腸兪、神門、裏内庭、合谷などのツボが便秘、下痢、過敏性腸症候群などの治療に用いられている。これらのツボ刺激は骨盤内の自律神経バランスや循環動態を整えて便通を改善すると考えられている。下痢や便秘は自律神経系や粘膜免疫系に大きく影響されるので、これらのツボ刺激は、自律神経系や粘膜免疫系に加え、腸内細菌叢にも影響している可能性が考えられる。
 鍼灸マッサージの新たなテーマとして研究が進む事を期待したい。

転載:月刊東洋療法263号
公益社団法人全日本鍼灸マッサージ師会

PAGETOP