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医者いらず健康長寿処方箋㉙

健康科学研究所所長・大阪市立大学医学部名誉教授 井上正康


井上正康先生は、癌や生活習慣病を「活性酸素」やエネルギー代謝の観点と、地球や生命の歴史という大きな視野で研究されている国際的研究者です。現在、多くの府県師会主催の公開講座で講演され大好評を博しています。ぜひ貴師会でも!
 ご連絡は下記URLより。
健康科学研究所HP http://www.inouemasayasu.com/seminar/

「鍼灸マッサージと体内時計」

 春眠暁を覚えずと言われるほどに、春の眠りは心地よいものである。ヒトは人生の約1/3を睡眠に充てているが、これは寝食を忘れて仕事に励む多忙な活動家には勿体ない時間かもしれない。動物には全身の細胞に様々な時計遺伝子が有り、脳の視交叉上核に中心的な時計がある。網膜に入る光量の変化が視交叉上核から交感神経節を介して松果体のホルモン・メラトニンを産生分泌させて全身の時計遺伝子を制御している。
 体内時計は動物に特有と思われがちであるが、植物にも体内時計が存在する。18世紀のフランスの学者デュメランが「オジギ草の就眠運動」に関して報告したのが、植物の体内時計に関する最初の論文である。オジギ草は太陽が昇ると葉を開き、夜になると葉を閉じてしなだれた様になる。太陽光に反応してこの就眠運動を毎日繰り返すオジギ草が陽の当たらない暗い部屋でもこの運動を繰り返すことから、彼らにも時間を検知する体内時計があることが分かったのである。生物は長い進化の過程で地球の自転に同調して生きていく仕組みを獲得してきたのである。
 睡眠には眼球運動と供に神経活動が活発なレム睡眠と不活発なノンレム睡眠がある。ラットのレム睡眠を妨害して寝かさないと、1ヶ月程で死んでしまう。この事から、脳が活発に働いているレム睡眠も不可欠な睡眠である事がわかる。暗闇を忘れた現代社会では時計遺伝子に大きな負荷がかかっている。深夜に携帯電話やパソコンを使用すると青い光により脳は朝日を浴びたのと同じ状態にセットされ、睡眠の質が著しく低下する。睡眠時の無意識世界では様々な代謝が営まれている。肝炎ワクチンを接種した日に良く寝たグループでは、血中の抗体価が良く眠らなかったグループより約2倍も高くなる。睡眠時間が1時間増えるごとに抗体価が約50%増加する事から、睡眠不足は免疫系を抑制する事が分かった。睡眠はホルモンの機能にも関係しており、2日間の睡眠不足で食欲促進ホルモンのグレリンが約30%増加し、食欲抑制ホルモンのレプチンが低下するために過食になりやすい。5日間も睡眠不足でいると、インシュリンの血中濃度が著しく低下する。この為、睡眠不足は体重を増加させ、特に小児では肥満になり易い。不眠とリズム障害もメタボの重要な原因なのである。
 睡眠不足は不愉快な記憶を維持させ易く、気分が落ち込んで歪んだ記憶を形成する。睡眠不足に陥る無呼吸症候群の男女患者はそれぞれ2.4倍及び5.2倍鬱病に罹り易い。これらの患者を呼吸を改善するCPAP装置で治療すると鬱症状も大幅に改善される。注意欠陥・多動性障害(ADHD)の小児患者もCPAP治療で多動症状が抑制される。
 学習後の睡眠は新しい記憶を選択的に定着させるので、良く寝る事により重要な記憶が選択的に強化される。重要な問題は即断せず、一晩寝てから再考する事が大切なのはこの為である。ヒトは過去の記憶を生かして将来の可能性を高める様に記憶システムを進化させてきたのである。
 不夜城の先進国では夜間の照明が生体リズムを乱し、鬱、糖尿病、及び不妊症などのリスクを増大させている。現在、米国では約3000万人が糖尿病に罹患しているが、これは25年前の3倍にも相当する。産業事故の大半も深夜2時〜朝4時に発生している。睡眠中には脳脊髄液の流れが良くなり、脳組織に沈着したアミロイドβが効率よく除去されて神経細胞を保護している。この為、睡眠は認知症やアルツハイマー病のみならず、生活習慣病の予防にも重要である。
 精子が輸卵管を通過中に卵子と出会うと受精や着床が容易になる。卵巣や子宮の代謝が時間的にずれると受精卵の着床能力が低下する。流産を繰り返す不妊女性にも概日リズムの乱れが関与している。メラトニンは概日リズムの障害を改善する事から、不眠症の治療や不妊治療のサプリメントとして利用されている。一日の照明〜輝度を自然のサイクルに同調させる事が健康の基本である。朝日と同様に朝食も生物時計をリセットする重要な応援団である。「早寝、早起き、朝ご飯」が健康長寿の基本である。
 鍼灸マッサージでは自律神経のバランスを整えて不眠症に効くツボや経絡が知られている。これらの効果には上頚部交感神経節を介して視交叉上核・松果体系の時計遺伝子やメラトニン代謝に影響している可能性が考えられる。時間薬理学では、薬の効果を最大限にする為に、食事の前後、朝、昼、夕方、就寝前など、適した時間に投与する必要がある事が知られている。鍼灸マッサージにおいても体内時計を視野に入れた有効利用法を目指す必要がある。

転載:月刊東洋療法266号
公益社団法人全日本鍼灸マッサージ師会

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