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医者いらず健康長寿処方箋(34)

健康科学研究所所長・大阪市立大学医学部名誉教授 井上正康


井上正康先生は、癌や生活習慣病を「活性酸素」やエネルギー代謝の観点と、地球や生命の歴史という大きな視野で研究されている国際的研究者です。現在、多くの府県師会主催の公開講座で講演され大好評を博しています。ぜひ貴師会でも!
 ご連絡は下記URLより。
健康科学研究所HP http://www.inouemasayasu.com/seminar/

「腸内細菌と生命継承」

 ヒトは約260種類の細胞が60兆個ほど集合した生命体であるが、その身体には約1000種類もの細菌が共生している。その数は皮膚に約1兆個、口内に100億個、胃に1万個、小腸に1兆個、大腸に1千兆個、そして膣や子宮内に1兆個ほどであり、総数は宿主の細胞数を遥かに凌駕している。ヒトの遺伝子は約2万5千種類であるが、共生細菌の遺伝子は数百万種類にものぼる。ヒトはこの莫大な数の微生物と共存しながら生きている超生命体であり、栄養代謝や免疫反応をはじめ、身心の状態も彼らに大きく影響されている。
 精子と卵子が受精して新しい命の旅が始まるが、ヒトはその前段階から共生細菌のお世話になっている。例えば、膣に共生する乳酸菌は、乳酸、酢酸、酪酸などの短鎖脂肪酸を産生分泌して膣内を弱酸性に保ち雑菌や病原菌の繁殖を抑制している。膣内に侵入してくる精子はホストにとっては異物であるために免疫系で排除される攻撃対象となる。しかし、膣内の共生細菌が精液中の成分を餌として代謝することにより免疫系樹状細胞が活性化され、制御性Tリンパ球を介して母体の異物排除機構を抑制している。この免疫抑制反応は受精卵が子宮に着床してから出産するまでの長期間に渡り維持されるが、無事に赤ちゃんが産出されると低下してしまう。一方、早産の場合は血中の制御性T細胞が早期に低下して排除反応が起こってしまう。妊娠から出産に至るまでの過程は共生細菌と母体免疫系との共同作業に支えられており、これにより胎児は無事に生まれる事ができるのである。
 妊娠後期には膣内の乳酸菌が増加し、ホルモンであるオキシトシンが脳から分泌されると子宮の平滑筋が収縮して陣痛が始まる。胎児は分娩時に狭い産道を通過しなければならないが、この時に膣内の共生細菌を飲み込みながら生まれてくる。オキシトシンは子宮のみならず大腸の平滑筋も収縮させるので、お産の時に妊婦が力むと排便も起こる。赤ちゃんは産道を通過した後にお母さんのお尻側を向きながら生まれてくるので、便と供に大量の腸内細菌が口の周りに付着する。赤ちゃんは出産時にお母さんから膣と大腸内の共生細菌をプレゼントされているのである。
 赤ちゃんが初めて飲む初乳には、糖分、蛋白質、ビタミン、ミネラル、抗体、成長因子などに加え、腸内の酵素では分解できない130種類ものオリゴ糖が含まれている。興味深いことに、出産の時期が近づくと大腸粘膜の樹状細胞が腸内の乳酸菌を取り込んでリンパ節へ移動する。この樹状細胞は陣痛の刺激によりお母さんの乳房へ移動し、大腸で捕まえた乳酸菌を乳腺内に分泌する。初乳には沢山のオリゴ糖とこれを利用する大腸由来の共生細菌が含まれているのである。赤ちゃんはお母さんから貰った膣内細菌、腸内細菌、及び初乳中の乳酸菌を用いて糖分やオリゴ糖などを栄養にしながら人生の第一歩を踏み出すのである。初乳に多く含まれている抗体は赤ちゃんを病原菌から守ってくれる。胎児の便には多くのビリルビンが含まれており、これが体内に長く留まると未発達な脳に好ましくない。赤ちゃんが初乳を飲むと成長因子により腸の組織が成長して蠕動運動が亢進する。これにより胎便が排泄され、ビリルビンによる新生児黄疸が予防できる。初乳には赤ちゃんが母体から離れて生きていくために必要な全てのモノが含まれているのである。
 この様に赤ちゃんが出産や授乳によりお母さんから腸内細菌をプレゼントしてもらうのは多くの哺乳類に共通した現象である。有毒なポリフェノールやシアンを含むユーカリの葉を餌とするコアラも母親の糞便を食べながら育っていく。お母さんの糞便中にはこれらの有毒物質を分解して栄養素にする腸内細菌が共生している。コアラがユーカリの葉を食べて生きていけるのはお母さんから貰った腸内細菌のお陰なのである。
 授乳を開始して約2週間ほど経つと、母乳の量や成分が大きく変化してくる。母乳中の免疫グロブリンや蛋白質は次第に減少し、赤ちゃんが直接利用できる脂肪分や糖分が増加してくる。この頃になるとお母さんはおっぱいが張ってくるので苦しくなる(乳汁潮来)。これは頻繁に授乳することにより楽になるが、授乳を止めると乳腺が萎縮して母乳が出なくなってしまう。赤ちゃんの腸内では生後数日間に多量の乳酸菌やビフィズス菌が増殖し、母乳中の乳糖やガラクトオリゴ糖を利用してビフィドバクテリウムが主導的な共生細菌となる。
 赤ちゃんは1歳頃から離乳を始めるが、市販の離乳食がなかった時代にはお母さんが食物を口で噛み砕いて口移しで与えていた。この際にもお母さんの口内細菌が赤ちゃんに移行して消化吸収を助けてくれる。最近では、お母さんの虫歯菌やピロリ菌などが赤ちゃんに感染する可能性もあるとのことから、先進国では口移しによる離乳食の習慣は見られなくなった。離乳期には腸内細菌同士が競合してフローラのバランスが変化し、3歳頃には赤ちゃんの腸内細菌も安定して多様な食物を食べられる様になる。5歳迄には子供に特有な腸内細菌叢の個性が確立する。日本では七五三のお祝いをするが、これはお母さんの母乳が無くても自活可能な子供にまで無事に育ってくれた事を祝う儀式でもある。
 哺乳類が何千万年もかけて進化させてきた受精、着床、発育、分娩、授乳、及び離乳に至る「生命の継承反応」は、お母さんの共生細菌を総動員して支援する栄養免疫現象なのである。最近の先進国では無痛分娩や帝王切開で生まれてくる赤ちゃんが増えており、病院側の都合により95%以上の分娩が帝王切開で行われている産科病院もある。自然分娩で産まれた赤ちゃんの腸内細菌叢はお母さんの腸内細菌叢に酷似しているが、帝王切開で産まれた赤ちゃんでは皮膚の共生細菌叢と似ている。興味深いことに、帝王切開で産まれた赤ちゃんは自然分娩で産まれた赤ちゃんと較べてアレルギー疾患や自閉症への罹患率が極めて高い。母胎ともに危険な場合は帝王切開が大きな威力を発揮する事は言うまでもない。しかし、健康な妊婦で自然分娩が可能な場合には、哺乳類が数千万年もの時間をかけて進化させてきたかけがえのない恵みをお母さんから赤ちゃんにプレゼントして欲しいものである。

転載:月刊東洋療法271号
公益社団法人全日本鍼灸マッサージ師会

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