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医者いらず健康長寿処方箋(45)

健康科学研究所所長・大阪市立大学医学部名誉教授 井上正康


井上正康先生は、癌や生活習慣病を「活性酸素」やエネルギー代謝の観点と、地球や生命の歴史という大きな視野で研究されている国際的研究者です。現在、多くの府県師会主催の公開講座で講演され大好評を博しています。ぜひ貴師会でも!
 ご連絡は下記URLより。
健康科学研究所HP http://www.inouemasayasu.com/seminar/

「見えない世界を視る」

 生命は原始の海底火山の噴火口付近で誕生したが、深海の暗黒世界で生きていく上では視力は必須ではなかった。しかし、先カンブリア紀を生き抜いてきた微生物の中に光感知能力を獲得したものが出てきた。植物プランクトンの渦鞭毛藻には眼点と呼ばれる三日月型の構造物があり、そこには動物の網膜で光を感知する視物質のロドプシン様蛋白質が局在している。生物史では食物連鎖や感染などで植物や微生物の遺伝子が動物の生殖細胞などに入り込む事によりホストの進化を促進してきた。渦鞭毛藻のロドプシン遺伝子もクラゲなどに取り込まれ、明暗を感知する三日月型の眼点を誕生させた。この様な遺伝子の水平伝搬が動物の眼を進化させてきたのである。事実、ヒトの網膜のロドプシンの分子構造は渦鞭毛藻やクラゲの眼点のロドプシンと酷似しており、この遺伝子が種を超えて視覚を進化させてきた事がうかがわれる。
 眼の設計図は約5億年前のカンブリア紀に完成したが、ヒトの様に精巧なカメラ型の眼を構築するには約1800種類もの遺伝子が必要である。ある時に細胞のゲノムが4倍に増幅するアクシデントがあり、これによりカンブリア紀に眼の元祖である小さな個眼が形成され、それが沢山集まって複眼が誕生した。カンブリア紀の覇者アノマロカリスも二個の大きな複眼を持つ肉食獣であり、広い範囲を見渡す事ができた。巨大な複眼を持つウミサソリや360度の視野を誇る五個もの複眼を持つ肉食獣ファビニアなども誕生した。しかし、焦点距離の短い個眼の集まりでは獲物や敵をボンヤリとしか検知する事が出来なかった。その為、巨大なカメラ眼を持つダンクルオステウスなどが現れると複眼動物は次々に駆逐されていった。海から陸へ上った動物達は様々な進化の道を辿ったが、天敵の少ない空へ進出した昆虫達は進化史上で最も大きな成功を収めた。一方、恐竜が繁栄したジュラ紀の地上では我々の先祖である哺乳類は夜行性動物として細々と暮らしていた。暗黒の世界では視覚以上に聴覚が大きな武器となる。夜行性の動物達は音波の反響音を利用するエコーローケーション(反響定位)と呼ばれる機能で世界を視る様に進化してきた。エコーローケーションのトップランナーは陸上ではコウモリであり、水中ではクジラやイルカである。潜水艦のソナーも音波を利用するエコーローケーションで水中の地形や敵艦を視ることができるが、これは夜行性動物の機能を応用したテクノロジーである。エコーローケーションでは音波収集装置の質が重要であり、これにより物体の形やサイズや位置を識別する能力が決まる。事実、コウモリの耳介の大きさは頭部の半分以上をも占めており、鼻腔から発信した超音波の反射音をキャッチして周囲の環境を把握している。特にその能力が高いキクガシラコウモリは密集した木の枝や狭い洞窟の壁などに衝突することなく小さな獲物を極めて効率よく捕捉できる。フクロウも大きな眼と特殊な耳で世界を視ている優れモノである。彼らの耳は左右の大きさが異なり、僅かに上下方向にズレている。この様な構造特性により暗闇の中でも音源である獲物の位置や方向を正確に把握している。
 先日、鳥取県鍼灸マッサージ師会で「生物の生存戦略と21世紀病の逆襲」と題する講演をさせて頂いた。その講演会をお世話くださった会長は4歳頃に全盲になられたとの事であったが、駅から会場まで移動する際には路上の人や車などがハッキリと視えているかの様にスタスタと歩いておられた。その様子に驚いたが、これは盲視能力と呼ばれる脳の機能であり、エコーローケーションが大きな役割を果している。盲視能力ではボール程度の大きさの物体の場所を認識したり、ボーリングでストライクを出す事も可能と言われている。視覚障害者の白杖は周囲の様相を知る為の延長された手であり、物との接触音によりエコーローケーション機能を利用する為の視聴覚装置でもある。
 視覚障害者は耳より下にある物が視え難いと言われるが、これは反響音の物理的特性と耳介の解剖学的特性に起因する。ヒトの視覚は動く物を認識しやすいが、静止物体を認識しにくいという特色がある。この為、ヒトは眼球を小刻みに振動させるマイクロサッケード機能により静止物体を動的に認識できる様に工夫している。眼球を動かす神経には動眼神経、滑車神経、外転神経などがあるが、これらの脳神経系も視神経と共役して世界を視る為の視覚装置なのである。実は、コウモリをはじめ聴覚依存型の動物も耳介を俊敏に動かす事により音源の四次元的情報を把握している。耳介のみならず身体を動かしたり音源が移動する事によっても位置情報は増加する。
 最近の研究では、視神経を介して脳に入る光情報は、後頭葉の一次視覚野のみならず多数の脳領域で物の形、奥行き、色、動き、角度、方向などの要素に分解処理され、最終的にそれらが再統合されて世界が認識されている事が判明している。脳には五感の様々な領域を神経細胞のネットワークで連携して新たな情報を創成する共感覚と呼ばれる機能がある。この共感覚により文字や数字や音に色を感じる現象などが起こる。覚醒剤などでこの共感覚が増幅されると刺激の強い幻想的な世界を体験できると言われており、これが覚醒剤を駆逐できない理由の一つとなっている。この共感覚は事故などで失われた手足が見えたり痛んだりする幻肢痛のメカニズムでもある。
 盲視能力は脳の一次視覚野が損傷された方などで強くなる事が多いと言われている。これは脳の視覚野と聴覚野のネットワークにより共感覚能力が強化されるからである。福島智氏と生井久美子氏の名著「ゆびさきの宇宙」では、指点字を介する情報のやり取りで盲ろう者の豊かな精神世界が紹介されている。この指点字によるコミュニケーションは、指先の触覚が視覚野、聴覚野、言語野などを統合した共感覚により世界を視ている事を教えてくれる。ヒトの脳内にはこの様な未踏の新天地が広がっており、今後の研究により視聴覚支援における新たな技術が生まれてくると思われる。現代のIT技術を駆使すれば、エコーローケーション機能などを飛躍的に増強する超小型の四次元的世界認識装置の開発も可能と思われる。銀幕では座頭市がエコーローケーションによる見事な殺陣を演じているが、彼が世界を視る共感覚能力を多くの視覚障害者が共有できる新たな盲視支援装置が開発されることを楽しみにしている。

転載:月刊東洋療法282号
公益社団法人全日本鍼灸マッサージ師会

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