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医者いらず健康長寿処方箋(53)

健康科学研究所所長・大阪市立大学医学部名誉教授 井上正康


 井上正康先生は、癌や生活習慣病を「活性酸素」やエネルギー代謝の観点と、地球や生命の歴史という大きな視野で研究されている国際的研究者です。現在、多くの府県師会主催の公開講座で講演され大好評を博しています。ぜひ貴師会でも!
 ご連絡は下記URLより。
健康科学研究所HP http://www.inouemasayasu.com/seminar/

「動脈硬化と重圧の深海魚」

 厳しい世論の風圧に曝されている政治家の中には深海魚的形相の御仁も珍しくない。生物は様々な圧力に影響されるが、これは人間社会のみならず水中世界でも同じである。ヒトが素潜りで到達した水深の世界記録は214 mであるが、この深度では22気圧もの圧が全身にかかってくる。この程度の水圧では動物の遺伝子、蛋白質、細胞膜などの機能は影響を受けない。深海の一番深い場所は1万 m以上もあり、そこには暗黒の未知世界が広がっている。これまでに魚が発見された最高深度は水深8370 mであるが、水圧は10 mごとに1気圧増えるのでこの水深では838気圧にもなる。この様な超高圧では細胞の遺伝子や酵素なども押しつぶされて生命活動を維持できない。超高圧下では高分子内に水の分子が浸入して立体構造を破壊して水中毒を起こす。生体高分子の水中毒による機能不全が魚の生存限界深度を決めているのである。
 最近、肉を食べるとトリメチルアミンオキシド(TMAO)が生じ、コレステロール代謝を介して動脈硬化を促進するとの説がネイチャー誌に報告された。コレステロール悪玉説が破綻してターゲットを見失った動脈硬化の研究者達はこの論文を切掛けにTMAOを新たな悪玉として注目し始めた。TMAOは肉のリン脂質、神経伝達物質のアセチルコリン、脂肪酸代謝に重要なカルニチンなどが腸内細菌(プレボテラ)により分解されて生じるプラスの荷電分子である。実はTMAOは築地や魚屋の軒先で鼻をつくあの魚臭物質の本体で肉よりも魚貝類に遥かに多く含まれている。しかし、魚を多く食べると動脈硬化が予防されることはあっても促進される事はない。
 興味深いことに、この魚臭物質は魚の生息深度が深くなると著しく増加し、特に深海魚はこれを大量に持っている。TMAOは水分子と強く結合して浸透圧を調節するオスモライトであり、魚の体内に水分を保持する効果がある。魚のTMAOは水深が深くなる程多くなり、深海魚はこれを利用して浸透圧の調節と同時に生体高分子を保護して超高圧の環境に適応しているのである。超深海ではTMAOが生体高分子の表面で水と強く結合して“分子の鎧”となり、遺伝子や酵素分子の水中毒を抑制しているのである。しかし、水深8400 mで生じる841気圧下で生きるには超高圧下の花崗岩内を動き回る強靭さが要求される。TMAOの高分子保護機能にも限界があり、841気圧以上の超深海では鎧機能も発揮できなくなる。驚くべきことに、地球で最も深いマリアナ海溝の水深1万 m以上の超深海底にもヨコエビやナマコが生息し、グアム島南のシレーナ海溝では水深1万500 mもの超深海から甲殻類が採取されている。この様な超深海では流石のTMAOも役に立たず、高分子が圧縮凝集されて生物機能が失われてしまうのでTMAO以外の耐圧機構を持たなければ生きていけない。この1000気圧もの超水圧下で生息している生物にはシロイノシトールと呼ばれる糖アルコールが高濃度に存在し、高分子の間に割り込んで分子同士の凝集を抑制して遺伝子や酵素蛋白が押し潰されない様に保護している。イノシトールに燐が濃縮結合したフィチン酸は玄米の胚芽に高濃度含まれており、発芽した細胞の成長を支える主要栄養素でもある。各種の神経変性疾患では様々な蛋白質が脳内で凝集して神経細胞を障害する。アルツハイマー病ではタウ蛋白が凝集して神経細胞死を誘起するので、この凝集を特異的に抑制する物質が見つかれば病気を予防できる可能性が期待されている。体内に存在する全ての代謝物は生物進化の過程で夫々に多様な機能を獲得しており、善悪で一元論的に考えるのは危険である。

転載:月刊東洋療法290号
公益社団法人全日本鍼灸マッサージ師会

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