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医者いらず健康長寿処方箋(58)

健康科学研究所所長・大阪市立大学医学部名誉教授 井上正康


 井上正康先生は、癌や生活習慣病を「活性酸素」やエネルギー代謝の観点と、地球や生命の歴史という大きな視野で研究されている国際的研究者です。現在、多くの府県師会主催の公開講座で講演され大好評を博しています。ぜひ貴師会でも!
 ご連絡は下記URLより。
健康科学研究所HP http://www.inouemasayasu.com/seminar/

「顎力 握力 歩行力」

 鳥は恐竜の子孫であるが、彼らには先祖の様な歯がない。この為、鳥は食物を丸呑みして消化吸収しなければならない。恐竜は当初は卵を地中で孵化させていたが、これでは時間がかかるので卵が他の動物の餌食になる可能性が高かった。やがて暖かい地上で抱卵する様になり、孵化期間が短縮して捕食されるリスクが軽減したが、むき出しで無防備な巣では卵を奪われる危険性も高かった。恐竜の胚の化石の成長線を分析した結果、歯の形成には孵化期間の約60%を要し、卵が孵化するまでに数ケ月もかかっていた事が判明した。ジュラ紀を支配した恐竜と言えども、留守中に卵を他の獣などに狙われるリスクは大きかった。この為に孵化期間を更に短縮する戦略が生存に有利に作用した。
 鳥は軽い羽毛を持った事により体表面から熱を逃さずに体温を40~42度に維持でき、この高い体温で抱卵期間を数日~数週間に短縮する事に成功した。しかも、長期間かかる硬くて重たい歯の形成を放棄する事により孵化期間を更に短縮させ、体重の軽量化と高温のエネルギー代謝で空を飛ぶ事を可能にした。これにより高い樹上に巣を作る事ができ、卵が捕食されるリスクが激減した。これらの要因が同じ卵生でありながら恐竜と鳥類の繁殖戦略に大きな差をつけ、鳥類の繁栄を助けてきた。しかし、そのトレードオフとして鳥は噛まずに丸呑みして消化吸収できる食物しか食べられなくなった。木の実や魚を丸呑みするのはその様な歴史によるのである。
 これに較べて胚が体内で守られながら母親と一緒に移動しながら成長できる哺乳類は捕食者からのリスクを最小化する事に成功した。哺乳類は可動型保育器の子宮内で長い時間をかけて生存に必要な身体をユックリと構築する事が可能になった。その中でも脳を巨大化する事に成功した人類は、更に巧妙な生存戦略を展開できる様に進化してきた。形成期間が長い歯を持たずに生まれて柔らかい乳房から栄養豊富なミルクをもらいながら、長い離乳期間に腸内細菌叢を整えて免疫的軍事訓練を行い、多様な異種生物を食べられる様に進化した。離乳と共に歯が生えてくると硬い食物を噛み砕く事が可能となり、顎力が脳を鍛えていった。これに調理と云う武器が加わって広範な材を食べる事が可能になった。更に、手を器用に動かす能力を進化させながら、握力と顎力を制御する脳の領域が大きく広がってきた。
 最近、英国で約50万人の住民を対象に約7年間に渡り握力の強さと心血管系疾患、呼吸器系疾患、及び大腸、肺、乳房、前立腺などの癌発生率や全死亡率との関係が調査された。その結果、握力の強さが心血管障害、呼吸器疾患、及び癌の発生率や全疾患による死亡率と逆相関することが判明した。男女ともに握力が5 kg低下するごとに死亡リスクが16~20%増加し、握力や筋力が低いほど不健康になり死亡率や罹患率が増加するのである。年齢、性別、糖尿病、BMI、収縮期血圧、喫煙などに握力の強度を加える事により、全死因死亡や心血管系疾患の発症に関する予測精度が有意に高くなる。年齢や性別に加え、握力も健康長寿の重要な要素なのである。
 握力のみならず、顎力や歩行力も健康長寿に重要である事が明らかにされている。歯が丈夫でシッカリ噛める高齢者は健康であり、噛む力と健康寿命が相関するのである。80歳で20本の自分の歯を維持して食事できる事を目標にした日本の“80・20運動”は健康長寿の基本なのである。最近、誤嚥性肺炎などを恐れる老健施設では、“年寄りには柔らかい食事が優しい”との配慮からクタクタに煮込んだ野菜の煮付けなどが日常的に出されている。この小さな親切は考えようによっては大きなお世話でもある。ヒトには“廃用性萎縮”という現象があり、使わない身体や臓器の機能は速やかに劣化するので、無理のない範囲で使い続ける事が大切なのである。食事では歯応えのある食物をよく噛んで食べると急激な血糖値の上昇を抑制でき、顎力が鍛えられると同時に脳機能が維持されて認知症を予防する健康法になる。
 同様の事は手足をはじめとする身体全てについて言える。自立している71歳の日本人男女419人で調査した結果、日常の歩行数が多い高齢者では全死因による死亡率が低いことも判明している。毎日の平均歩行数が4,500歩未満、8,000歩以上、及びその中間の高齢者グループで追跡調査した結果、約10年間に76人(18%)が死亡したが、歩行数の多いグループでは死亡リスクが有意に低かった。高齢少子化が爆進する日本では、シッカリと噛み、握り、歩き続ける事が自立度を高めて健康長寿を楽しむ秘訣であり、若い世代の負担にならずに人生をしなやかに駆け抜ける基本的礼儀なのである。

転載:月刊東洋療法295号
公益社団法人全日本鍼灸マッサージ師会

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