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医者いらず健康長寿処方箋(66)

健康科学研究所所長・大阪市立大学医学部名誉教授 井上正康


 井上正康先生は、癌や生活習慣病を「活性酸素」やエネルギー代謝の観点と、地球や生命の歴史という大きな視野で研究されている国際的研究者です。現在、多くの府県師会主催の公開講座で講演され大好評を博しています。ぜひ貴師会でも!
 ご連絡は下記URLより。
健康科学研究所HP http://www.inouemasayasu.com/seminar/

「顔の進化と表情の生存戦略」

 ダイビングが趣味の私はボルネオやインド洋の珊瑚礁で色彩豊かな魚達と戯れながら別天地を楽しませてもらっている。熱帯魚の豊かな色彩を見ながら、彼らはどの様に世界を観ているのだろうかと思うことがよくある。イトマキエイなどの大型魚のみならず、クマノミなどの小魚の表情も千差万別であり、夫々が個性を主張している。縄張りを持つ魚達は隣近所の仲間と他所者を区別する事が出来る。魚類に限らず顔は縄張りや自己を主張する情報器官なのである。
 動物の生存には餌獲り反応が最重要課題であり、獲物を見つけて効率良く動けることが必要である。地中で暮らすゴカイやミミズなどは前後両方向に移動出来る事が有利であるが、水中や地上で餌を捕まえたり天敵から逃げるには特定の方向に素早く移動できる事が生死を分ける。この事が進化圧となり消化管の一方をめくれ返して口や唇を創り、これを口輪筋が取り囲むことにより餌を効率良く捕獲できる口が誕生した。更に、口の周辺に情報収集装置である眼や耳や鼻を集めることにより顔が誕生したが、全方向に動けるウニやヒトデでは顔は進化しなかった。顔の設計図は魚類が基本であり、餌を噛み切る歯は爪の様に皮膚が進化した組織である。食物を飲み込む為の舌は魚の第三のヒレであり、 顎で餌を噛み砕く咬筋や側頭筋は顎弓筋から、情報を伝える表情筋の口輪筋、眼輪筋、鼻根筋などは舌弓筋から進化してきたのである。
 顔は捕食と情報収集の為の装置として進化してきたが、動く獲物を捕らえるには鋭敏な視覚がモノを言う。ヒトは周囲の風景がはっきり見えていると思っている。しかし、それは錯覚であり、実際には限られた範囲しか見えていない。本を読む時はページの一部が鮮明に見えているだけで、大部分はボヤけているので目を動かさなくては文章を読むことができない。特定の対象に意識を向けると眼が素早く動くが、その移動中に網膜に投影されたモノの大半は無視されている。ヒトは自分で行動を制御していると思っているが、その大半は無意識に支配されている。考え事をしながら歩いたり車を運転できるのも脳の無意識機能のお陰である。
 ヒトでは光情報が網膜の神経細胞を介して後頭葉の1次視覚野に到達し、そこから更に三十ヶ所以上の視覚関連野に転送されている。これらの視覚領域は物体の形、色、方向、角度、動き、奥行などの要素を特異的に分別しながら世界を認識している。この領域は聴覚や嗅覚などの知覚系ともネットワークを形成し、共感覚の神経基盤を構築している。脳の神経系も最初は1個の受精卵から出発して高次の機能を獲得しているが、本来は全ての五感を区別せずに感知している。音を聴いたり数字を見ると色が視えたりする共感覚が存在するのはこの為である。
 猿族の中でも白眼は人類だけにあり、相手を注目している事を伝えるメッセージとして機能している。新生児の眼は強度の近視であり、お母さんの顔は輪郭がボンヤリと見えるのみである。しかし、コントラストの強い白黒の眼を視たお母さんの視床下部では愛情ホルモンのオキシトシンやプロラクチンが産生されて授乳反応が誘起される。新生児の眼は母乳と愛情の誘導装置なのである。
 眼球が成熟すると外界の微細な情報を認識できる様になる。ヒトではこの機能は表情を読む能力としても重要である。顔や眼の周囲の表情筋はヒトの感情を表現する無意識的言語である。眼や唇の周囲を取り囲む輪状筋や口輪筋は両臓器をリング状に覆って保護すると同時に、微妙な収縮弛緩反応により感情を表出している。“顔は笑っているが、目は笑っていない”などと言われる様に、顔面神経で制御されている表情筋の収縮反応の僅かな差異が心を反映しており、それを読み取る能力が人間関係の構築や生存に重要な役割を果たしてきた。
 最近、脳に顔を識別する“顔パッチ”と呼ばれる領域が存在する事が明らかになった。これは光により生じる額と口や眼窩と鼻のコントラストなどを認識する神経領域であり、ここに“顔細胞”と呼ばれる神経細胞が局在している。顔パッチは左右の脳半球に合計12箇所あり、サルでは約205個の顔細胞が50個の座標(50次元)を用いて顔の角度や見え方による違いを調整しながら画像処理している。
 古今東西、化粧では目と口を中心に創ろうが、これは相手の美意識やエロスを刺激する無意識的戦略である。喜怒哀楽を豊かに表現する眉毛を剃り落として表情筋の無い額に眉墨を入れると能面の小面になる。これは表情を隠す事により視覚関連領域で幽玄の広がりを想像させる強かな能楽の戦略である。最近の若者でもアイシャドウやエクステにより目の周囲を黒くしてコントラストを増強し、“眼力”を強化するのがコスメの主流となっている。これが最も強化されたのがイスラームの黒いブルカであり、眼の周りの僅かなスペースで男脳のエロスを刺激している。“秘すれば花”は花伝書が極めた奥義である様に、顔の表情やコスメは進化が創生した無意識的生存戦略なのである。

転載:月刊東洋療法303号
公益社団法人全日本鍼灸マッサージ師会

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