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医者いらず健康長寿処方箋(68)

健康科学研究所所長・大阪市立大学医学部名誉教授 井上正康


 井上正康先生は、癌や生活習慣病を「活性酸素」やエネルギー代謝の観点と、地球や生命の歴史という大きな視野で研究されている国際的研究者です。現在、多くの府県師会主催の公開講座で講演され大好評を博しています。ぜひ貴師会でも!
ご連絡はURLより。 http://www.inouemasayasu.net

「カビと発酵食品」

 快適な温度と水に僅かな栄養分があればカビは何処にでも生息できる。台所、風呂、クーラーや洗濯機の中などにカビが生え易いのはこの為である。カビは見た目が悪くて喘息やアレルギー疾患の原因となる事から目の敵にされてきたが、ヒトは彼らの恩恵を受けながら今日まで生き延びてきたのである。カビや酵母などの菌類はお酒や調味料を造るのに不可欠であり、日々の食卓や生活の様々な面を豊かな文化で支援してくれている。
 穀物や果物を醗酵させたお酒は人生に潤いを与え、日々の生活になくてはならないものである。既に紀元前6千年にはメソポタミアでワインが造られていた。糖分の多い葡萄を醗酵させるには酵母だけで充分である。しかし、糖分の少ない穀物で醸造酒を造るには、先ずカビのアミラーゼでデンプンを分解してブドウ糖を作らせ(糖化)、その後に酵母で醗酵させる二段仕込みが基本である。古くより東南アジア、台湾、ミクロネシア、南米、環太平洋地域では口で噛んで発酵させる“口噛み酒”が主な醗酵酒であった。これは唾液のアミラーゼでデンプンを糖化した後に酵母で発酵させる醸造法である。カビの中からアミラーゼを多く含む種類が見つかり、やがて酒造りでは“口噛み”の代わりにカビを使う様になった。カビの種類は地域により大きく異なり、東アジアでは主にクモノスカビで、日本ではコウジカビでお酒を造るのが主流となった。蛋白分解能の低いクモノスカビでは高蛋白の穀物を用いる事により紹興酒の様に濃厚な旨味の酒ができる。一方、蛋白分解能の強いコウジカビで蛋白や栄養分が多い玄米を醗酵させると雑味が生じる。この為に日本酒ではデンプンが主体の精米を醗酵させてスッキリとした旨味の吟醸酒が主流になった。それでも日本酒のアミノ酸濃度はビールより10倍も高い為、調理の際にお酒を加えると格段に旨くなる。
 蛋白の多い大豆をコウジカビで醗酵させたのが味噌や醤油である。醤油の元祖である“醤”は平安時代に中国から渡来し、日本で独自の工夫が加わって現代の醤油に進化した。味噌の語源は醤油になる前の“未醤”であり、コウジの種類により様々な味を醸す。大豆を米麹で醗酵させた米味噌や大豆麹で醗酵させた八丁味噌はアミノ酸が多く、蛋白含量も10~20%と肉並みである。日本食の定番である味噌汁は旨味を凝縮した高栄養スープなのである。昔は各家庭ごとに異なる麹カビで味噌を造り、その味を自慢し合っていた事から“手前味噌”なる言葉が生まれた。
 カビによる蛋白や核酸の分解物が旨味の本体であり、様々な美味しい保存食を生み出してきた。納豆菌が付着した藁で蒸し大豆を包んで醗酵させた納豆のネバネバは旨味成分のグルタミン酸が特殊な様式(γ–グルタミル結合)で重合したポリグルタミン酸である。これはグルタミン酸の数だけ負の荷電を持つ鎖状の高分子であり、小腸粘膜や胆汁中の酵素γ-GTPでのみ特異的に分解される。この酵素はお酒を飲んだ翌日に血中で上昇する事から肝機能検査にも利用されている。
 北大路魯山人 “納豆は手を抜かずに混ぜるほど旨くなる”と述べているが、これは箸で掻き混ぜると鎖状のポリグルタミン酸が切れて旨味成分のグルタミン酸が遊離してくるからである。事実、納豆は掻き回すほど旨味や甘味がドンドン強くなる。納豆はビタミンKも多く含んでおり、グルタミン酸と共に骨を強くしたり血液凝固系を強化してくれる。納豆に含まれるナットキナーゼは血栓を溶解する酵素であり、血栓症の予防に有効である。毎朝の味噌汁と納豆は日本人の健康を陰で支えてきた優れモノなのである。バナナの葉にはクモノスカビが付いており、これで蒸し大豆を包んで発酵させたのがインドネシアの乾燥納豆テンペである。しかし、同じ仲間でも旨味と健康効果では和製ネバネバ納豆の敵ではない。
 カビの醗酵作用は海産物でも古くから利用されてきた。魚編に堅いと書く“鰹”は縄文時代から食べられてきたが、季節により沢山獲れ過ぎると腐ったりカビが生えていた。鰹節はこのカビ被害から考案された保存食であり、大宝律令の時代には干しカツオとして献納品にされていた。炙って燻製にしたカツオに水を好むカワキコウジカビを付着させ、蛋白、脂肪、核酸などをユックリと分解させながら水分を15%以下に乾燥させると雑菌やカビも生えなくなる。旨味成分のイノシン酸が凝縮された鰹節をカンナで削った花鰹は、そのまま食べても出汁を採っても天下一品の世界遺産である。鰹出汁には一番出汁、二番出汁、合わせ出汁などがある。火を消した熱湯に削り節を加えて数分後に布巾で軽く濾すとエグ味のない豊潤な味と香りの一番出汁ができる。これは吸い物、茶碗蒸し、蕎麦汁、うどん汁などに最適である。一番出汁の出汁ガラを入れて沸騰させた後に弱火で5分ほど煮出し、火を止めて新しい削り節を加えて数分後に濾すと濃厚な味の二番出汁ができる。煮物、鍋物、炊き込みご飯などに嬉しい優れモノである。鰹出汁のイノシン酸が昆布出汁のグルタミン酸やシイタケのグアニル酸と一緒に味覚受容体に作用すると旨味の相乗効果を発揮する。日本酒にはグリシンやコハク酸も多く含まれており、これらが鰹節や昆布の旨味と協働して脳内で絶妙な味を創生する。伝統的直感を進化させてきた和食と日本酒の相性が良いのはこの為である。旨いものにはそれなりのワケがある。

転載:月刊東洋療法305号
公益社団法人全日本鍼灸マッサージ師会

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