トップ > お知らせ一覧 >「医者いらず健康長寿処方箋」(70)

医者いらず健康長寿処方箋(70)

健康科学研究所所長・大阪市立大学医学部名誉教授 井上正康


 井上正康先生は、癌や生活習慣病を「活性酸素」やエネルギー代謝の観点と、地球や生命の歴史という大きな視野で研究されている国際的研究者です。現在、多くの府県師会主催の公開講座で講演され大好評を博しています。ぜひ貴師会でも!
ご連絡はURLより。 http://www.inouemasayasu.net

「ベジタリアンと発酵食品」

 全ての生物は他者の命を糧にして必要なエネルギーや生体成分を産生している。植物は自分の居場所から逃だせないので病原体や動物の餌食にならない様に様々な毒物や難消化性分子を産生する事により生き残ってきた。これに対して動物は、味覚、解毒代謝系、排泄機能などを進化させてきた。農業と調理という武器を手に入れた人類は、これを駆使しながら食物連鎖系の頂点に君臨してきた。嫌気性土壌細菌による醗酵代謝は農業に必須であるが、この醗酵は調理や腸内代謝でも主役的役割を担っている。
 植物の主要な成分であるセルロースはグルコースの鎖状高分子であるが、デンプンとは異なる結合様式や強靭なリグニンなどと複合体を形成している為に極めて消化されにくい。木造建築が長年腐食しないのはこの為である。しかし、カビや細菌などが感染すると強固な構造が破壊されてシロアリなどに食べられてしまう。実はシロアリの体内でセルロースなどを分解しているのは腸内細菌のセルラーゼや醗酵代謝系などである。彼らの腸内細菌は陸上植物の約60%を分解して他の動植物が利用可能な成分に変換している“錬菌術師”なのである。熱帯雨林帯に生息するハキリアリは自分の体の数倍もある葉片を切り取って巣穴に搬入し、これにアリタケと呼ばれる菌類を植え付けてキノコを栽培している。これは原始的農業の昆虫版であり、醗酵栽培したキノコが彼らの主食である。しかも、彼らの体内でアリタケを分解しているのは腸内の共生細菌である。腸内細菌は蛋白質、脂質、ビタミンに富むスグレモノであり、彼らの代謝産物や菌体自体がアリの栄養分となっている。
 牛は草食動物の中でもベジタリアンの横綱であるが、栄養分の乏しい牧草であの巨体を維持するのは困難である。実は牛が牧草だけであの巨体を維持している秘密は胃の構造と醗酵代謝にある。牛が新鮮な牧草を食べている際には毎日約60 Lもの唾液が分泌され、干し草だけならその量が約300Lにもなる。彼らの胃袋は4個もあり、ルーメン胃と呼ばれる最初の第1胃は約120 Lの醗酵タンクである。彼らは牧草を大量の唾液と混合して反芻しながら大量の共生細菌を培養しているのである。ルーメン胃で増殖する微生物の大半は嫌気性菌でセルロース分解能や醗酵力が強く、自分に必要な全栄養素を産生する事ができる。これに続く第2胃は“ハチの巣胃”と呼ばれて丈夫なヒダを持ち、“葉状胃”と呼ばれる第3胃には多数の葉状ヒダがある。これらはミノ、ハチノス、センマイと呼ばれるホルモン焼きの定番メニューになっている。前胃と呼ばれる第1~3胃は食道が進化したものであり、殺菌力の強い胃酸は分泌されていないので、大量の細菌が増殖できる。この巨大醗酵タンク内で食物を粥状に擦り潰しながら菌の増殖と醗酵代謝を最適化している。ここで増殖した共生細菌は、蛋白質、核酸、脂肪、アミノ酸、ビタミンなどに富む高品質栄養食品なのである。これに続く第4胃ではヒトと同様に強力な胃酸が分泌されており、前胃で培養した大量の共生細菌を殺菌した後、約60mの長い小腸で胆汁や膵液の酵素で効率良く分解処理して栄養分を吸収している。前胃の醗酵代謝は貧栄養の牧草を肉並みの高栄養食品に変換する“錬菌術”であり、培養された細菌は牛が必要とする蛋白量の約50%にも相当する。残りの栄養分は細菌代謝で生じたアミノ酸、脂肪、ビタミンなどで補われている。ベジタリアンと思われている牛の主食は、前胃で培養した共生細菌なのである。
 ヒトの胃では高濃度の塩酸が分泌されているので、口から侵入した病原菌の大半は殺菌されてしまう。乳酸菌を多く含むヨーグルトを食べても生きた状態で小腸に届く菌が少ないのはこの為である。胃酸はヒトを感染症から守る為に必須のゲートキーパーなのである。この為にヒトは牛の様に胃内醗酵の恩恵を受けれず、人類史の大半は飢餓と貧栄養に翻弄され続けた歴史であった。ヒトはこのハンディーを克服する手段として“農業と調理”という武器を手に入れ、生存能力を飛躍的に進化させてきた。調理法の中でも醗酵は古くから利用されてきた“錬菌術”である。日本の代表的醗酵食品は、味噌、醤油、酒であるが、何も穀物をカビや酵母で発酵させたスグレモノである。大豆の蛋白質や脂質の含有率は牛肉や豚肉と比べて遜色がなく、必須アミノ酸スコアーは100と理想的である。これがカビや酵母の菌体に錬菌されると、蛋白質、脂質、炭水化物のバランスが約20%、10%及び15%の高栄養食品となる。食材を醗酵させる錬菌術的調理法はルーメン胃的機能を模倣した栄養増幅術なのである。ヒトの胃で分泌されている主成分は胃酸と蛋白質分解酵素のペプシンであり、これは肉食獣の胃袋の解剖生理学的特色であり、人類の祖先は肉食獣として進化してきたのである。雑食動物の横綱となった人類は、食前に体外で食材を醗酵処理し、食後は腸内細菌の醗酵代謝で後処理しながら食物連鎖系の頂点に立ち続けてきた。

転載:月刊東洋療法307号
公益社団法人全日本鍼灸マッサージ師会

PAGETOP