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医者いらず健康長寿処方箋(71)

健康科学研究所所長・大阪市立大学医学部名誉教授 井上正康


 井上正康先生は、癌や生活習慣病を「活性酸素」やエネルギー代謝の観点と、地球や生命の歴史という大きな視野で研究されている国際的研究者です。現在、多くの府県師会主催の公開講座で講演され大好評を博しています。ぜひ貴師会でも!
ご連絡はURLより。 http://www.inouemasayasu.net

「低炭水化物食と糖尿病の楽屋裏」

 人類の歴史は厳しい飢餓や感染症との戦いであった。現代でも両者を克服出来ていない国が大半であり、人類は未だに進化の途上にある。この為、飢餓と感染症に強い抵抗力を獲得した集団が生き残って我々の先祖となった。狩猟採集時代に入手できた食物は時々得られた獣肉や食物繊維が多い難消化性の穀物などであった。この様な食物が人体の基本的設計図と代謝特性を創生してきた。農耕生活が始まると食生活は一変し、デンプンを有効利用する栄養代謝系により飢餓が軽減されて人口が増加してきた。しかし、農耕の歴史は悠久の生命史では一瞬に過ぎず、人体の基本的設計図や代謝特性は未だに原始人のままである。
 生存を脅かす飢餓時にはデンプン由来のグルコースが不足するので体脂肪が分解され、アセト酢酸やヒドロキシ酪酸などのケトン体が生じて代替エネルギーとなる。人類史の大半は飢餓との戦いであった為、一瞬たりとも休めない心臓は脂肪依存性のエネルギー代謝が基本である。これに対して脳と筋肉はグルコースと脂肪を両輪とするエネルギー代謝系を進化させ、飢餓時には脂肪由来のケトン体が生命線となる。グルコース代謝が阻害される糖尿病でも体脂肪が主なエネルギー源となり、肝臓でケトン体が産生されて血中濃度が高くなる。1970年の大阪万博頃までは、病室に入っただけで患者を診察しなくても糖尿病と診断できる事が少なくなかった。室内に独特な甘い香りが漂っていたからである。これは揮発性ケトン体のアセトンの香りであり、重症患者ではその血中濃度が著しく高くなり呼気から排泄される。糖尿病ではグルコースとケトン体の血中濃度が上昇する為に両者とも有害代謝物として目の敵にされてきた。しかし、グルコースが利用できない場合には心臓や脳がケトン体を主要なエネルギー源としている事は生化学では常識であった。
 現代医療では「病気で増加する血中成分を“悪玉”と敵視し、これを抑制する事が治療の基本」と考える傾向が強い。専門家達が動脈硬化の原因と誤解して“悪玉コレステロール”の存在を信じ込み、大半の医師や市民に布教した事はその代表例である。臓器や組織が破壊されて血中に漏出する細胞内酵素などは別として、病態時に変動する血中成分の多くは“生存を模索する生体の復原力を反映した代謝物”なのである。事実、“悪玉コレステロール”を抑制するコレステロール低下薬は家族性高脂血症などの患者以外には有害でさえあり、この薬で動脈硬化を治療する試みは敗北の歴史であった。この為、当初は“コレステロールが多い卵は沢山食べないように!”と声高に指導していた医師達の声も何時の間にか小さくなり、最近では“高齢者は毎日卵を食べるように!”との掛け声に代わってきた。悠久の時を掛けて進化してきた生体で起こる代謝変化の大半は生存をサポートする動的平衡現象であり、これを善悪で考えるのは基本的に誤りである。この様な誤解は医学が極めて未熟な科学であり、魑魅魍魎の欲望や医療経済的な利権が入り易い事に起因する。
 大戦後の日本人の食事には難消化性の食物繊維が多く含まれており、これが腸内細菌の主食となってきた。酸素の無い消化管内では嫌気性細菌が食物繊維を醗酵させ、酢酸、プロピオン酸、酪酸などの短鎖脂肪酸を産生している。短鎖脂肪酸は腸の組織細胞のエネルギー源となり蠕動運動を促進し、全身の免疫細胞や脂肪細胞を制御している。リンパ球にはGPR43と呼ばれる細胞膜受容体があり、これが短鎖脂肪酸で刺激されると炎症反応が抑制される。肥満者の脂肪組織には炎症細胞が集積して脂肪蓄積反応を促進している。実は脂肪細胞にもGPR受容体があり、これが短鎖脂肪酸で刺激されると脂肪蓄積反応が抑制される。腸内細菌が産生する短鎖脂肪酸は炎症反応と脂肪エネルギー代謝を同時に制御しながらホストの生存を最適化しているのである。絶食や低炭水化物食では身体の栄養代謝が激変し、食物繊維を貰えなくなった腸内細菌は激減してバランスも変化する。この為に腸内細菌が産生する短鎖脂肪酸も減少して免疫細胞や脂肪細胞を制御できなくなる。一方、この様な飢餓時には体脂肪が分解されて肝臓でケトン体に変換され、これが短鎖脂肪酸の代わりにリンパ球や脂肪細胞のGPR43受容体を活性化してエネルギー代謝と免疫機能をコントロールしている。これらの現象は脂肪由来のケトン体と腸内細菌由来の短鎖脂肪酸が代謝制御分子として免疫エネルギーシステムを高次に調節している事を意味する。イスラムのラマダンは“プチ断食による免疫エネルギー制御システムが宗教化された生存支援儀式”として考案された神の直感智であった。脳と腸が密接に相互作用する現象は“脳腸相関”として古くから知られていたが、これは“脳腸共生細菌相関”と呼ぶべきである。最近、交感神経にも短鎖脂肪酸で活性化されるGPR41受容体が存在し、これがエネルギー代謝を亢進させて体温を上昇させる事も判明している。これは空腹時に“腹の虫のご機嫌”が悪くなり怒りっぽくなり、食後には体が温まり感情が穏やかになる現象の分子基盤である。“商談は食卓を囲むと旨く行く”と古くから云われてきたのもこの為である。

転載:月刊東洋療法308号
公益社団法人全日本鍼灸マッサージ師会

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