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医者いらず健康長寿処方箋(74)

健康科学研究所所長・大阪市立大学医学部名誉教授 井上正康


 井上正康先生は、癌や生活習慣病を「活性酸素」やエネルギー代謝の観点と、地球や生命の歴史という大きな視野で研究されている国際的研究者です。現在、多くの府県師会主催の公開講座で講演され大好評を博しています。ぜひ貴師会でも!
ご連絡はURLより。 http://www.inouemasayasu.net

「皮膚脳と触覚の生存戦略」

 「人は見かけが9割」と言われる様に、現代社会は視覚的情報に左右される事が極めて多い。しかし、生物進化や個体発生では触覚が圧倒的に重要であり、これが無意識的生存機能を強化している。暗黒の子宮内で育つ胎児でも五感で最初に発達してくるのは触覚である。新生児は出産直後から子宮内と比べて圧倒的に厳しい環境を生きていかねばならない。この過酷な世界に適応していくにも皮膚感覚が重要である。NICUの保育器内の超未熟児も母親の胸に抱かれてカンガルーケアされると70%近かった死亡率が10%にまで激減する。母の柔らかい肌との接触により様々な遺伝子が発現して生存能力が強化されていく。新生児では皮膚感覚によるエピジェネティックな遺伝子制御により他者への信頼感が構築され、母親では愛情ホルモンのオキシトシンが産生分泌されて豊かな母子関係が強化される。
 皮膚は社会的臓器であり、進化の過程で最初に発達した無意識脳でもある。C-エレガンスの幼虫を集団飼育して皮膚接触を増やすと正常に育つが、孤立的条件下で飼育すると発育が阻害される。彼らの身体や神経系の発達にも皮膚感覚が不可欠なのである。哺乳類でも母親にグルーミングされた幼児ではストレスホルモンのACTHやコルチゾールが低下し、愛撫の機会が少ないと空間学習能力が低下して臆病になる。ヒトもハグや愛撫により同族遺伝子を保護するオキシトシンが増加し、これが相互の絆を深めていく。ヒトが異性に抱き締められたいと思うのも幼児期に形成された皮膚感覚が無意識的アルゴリズムを構築しているからである。セックスもその延長線上にあり、この皮膚感覚が遺伝子継承の重要基盤である。
 皮膚の浅部にはマイスナー小体やメルケル盤、深部にはパッチ二小体やルフィ二終末などの知覚装置があり、これらの機械受容器が触覚、圧覚、張覚、振動覚などのシグナルを伝達している。マイスナー小体やルフィ二終末は皮下組織のコラーゲン線維に絡みついており、線維が引っ張られると横方向の滑り感覚が生じる。これが脊髄反射や小脳を介して筋肉を制御しながら握力をコントロールしている。唇や指先にはメルケル盤が高密度に存在し、僅か0.05 mmの歪みにも反応して物体の縁、湾曲、質感などを検知している。指先で点字を読めるのもメルケル盤のお蔭であり、慣れると毎分120語も読める様になる。生殖器にはメルケル盤などの機械受容器が少なく、温度や痛みを検知する自由神経終末が主体である。事実、2点間の識別域は小陰唇で約7 mm、亀頭で5 mm、陰茎有毛部位で12 mmであり、指先の鋭敏さに比べて驚くほど鈍感なのである。
 皮膚の機械受容器からの刺激は太いA型神経線維により秒速100 mの高速で伝達されるが、有毛皮膚の細いC型線維では毎秒0.9 mと低速である。前者は傷や火傷などを回避する反射的生存システム、後者は感性や心の無意識世界などを構築する上で重要である。人生で最初に抱いてくれた母の心地良い愛撫の刺激はC線維を介して脳の島皮質後部へ伝達され、これが情緒を安定させて社会的信頼関係を構築してくれる。自閉症スペクトラムの患者ではC線維の感受性が低下しており、その程度と重症度が相関している。母親との触れ合いが少ない未熟児や乳幼児では様々な発達障害が生じ、成人後に肥満、2型糖尿病、心臓病、消化器疾患、精神疾患などが有意に増加する。性格形成における皮膚感覚の重要性は一卵性双生児の比較研究でも実証されている。“氏より育ち”が重要なのである。
 腸の壁は内なる皮膚であり、そこでの環境を左右する最大の要因は食事と腸内細菌叢である。最近の研究により、帝王切開で自閉症のリスクが約7倍も増加し、先進国ではこの半世紀に患者数が約60倍も増加した事が判明している。その一因として出産時や幼児期に母親から受け取るべき腸内細菌などが激減した事、抗菌剤乱用、不潔恐怖症的ライフスタイルなどが考えられている。
 皮膚の機械受容器にはTRP受容体も含まれており、唐辛子やミントなどの化学的刺激を温感情報に変換している。皮膚の温感は脳で安心感や危機感などの形成機構にも影響し、人物の第一印象を左右する重要な因子でもある。温かい飲物を手にしたり心地良いスベスベした物に触ると友好的印象が増加し、対面している人物の評価が高くなる。逆に、冷感や触り心地の悪いザラザラ感などは敵対的感情を増強する。握手する手の温もりや触り方により人の印象が変わるのもこの為である。接客の際に客の身体に軽く触れるウェイトレスにはチップが多くなり、机上のパソコン画面ばかり見ている藪医よりも暖かい手で患者を診る医師の方が好評なのもこの為である。スポーツでもハグなど皮膚接触の多いチームほど一体感が強化されて優勝しやすくなる。皮膚の愛撫で誘起されるオーガスムでは体性感覚野を介して扁桃体の警戒反応が不活化されて側坐核の快感回路が活性化される。この際に前頭皮質のリスク検知機能が麻痺して腹側被蓋野のドーパミン報酬系が活性化される。ヒトの好き嫌いや人物評価も皮膚脳相関の無意識的アルゴリズムに左右される生存反応なのである。“恋は盲目”と言われるが、過剰な視覚依存的社会では目を閉じて四感で無意識世界を内観する事も大切である。

転載:月刊東洋療法311号
公益社団法人全日本鍼灸マッサージ師会

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